きんぎょ

知識を「知恵」に変えるブログ。

雑記。今日は何の日?

f:id:inakan:20180815232605j:image

 

本日、8月15日は終戦記念日です。

毎年この日は、日中戦争・太平洋戦争で亡くなられた延べ300万人以上の犠牲者を追悼する日。

 


のはずです。

 


毎年この日が来ると、ある新聞の社説を思い出します。

 


戦没者の方々は国や愛する人の為に戦い、亡くなられたのであり、決して戦争の「犠牲者」ではないー

 


戦う目的を決めつけるニュアンスに違和感を覚えました。

 


僕は、犠牲になられた方々の本音を汲み取る事が大切だと思うのです。

 


確かに当時は、お国の為に戦い死ぬ事は立派だとする風潮がありました。

しかし、実際戦場で死を迎えんとする兵隊たちが、愛する家族がいるのに「国の威信をかけて戦います」と、心から、言えたものなのでしょうか。

 

f:id:inakan:20180815232055j:image


先の大戦は、国民が「そんなん知らんわ!」と言いたくなるような国家権力者の争いに無理矢理動員され、罪も無いのに命を捧げざるを得なくなった、史上最悪の出来事です。誰も手伝いたく無いような「人を殺すボランティア」

 

そして皮肉にも、ボランティアなのに自分の命を賭けなくてはいけませんでした。

 


戦う事を強いられた以上、感情を高める必要があったのでしょう。しかしいくら発揚しても、心から「天皇陛下万歳」と思えるのでしょうか。愛する家族がいるのに喜んで死ねるはずが無いのです。むしろ、国家が仕掛けた無謀な戦争に首を縛られ殺されただけです。

殉死ではありません。

 

f:id:inakan:20180815232423j:image


また

「今の国民の平和な暮らしは先の大戦の数多くの犠牲の上に成り立っている」

とよく言いますが、これも僕の腑に落ちません。

とくに特攻隊に関しては、戦局が悪化するなか捨て駒になるのは彼ら自身が分かっていたはずです。

そうした過去があってもなお

「彼らが犠牲にならなければ私たちの平和な暮らしはなかった」

かのように語るのは、単なる決めつけに過ぎないと思うのです。

よくわからないロジックが美談化されている事に強い違和感を覚えます。


本当に日本の事を思って死んでいった人などいないと思うのです。

日本を憎み死んでいった人も少なからずいるはずなのです。

それを、戦争を知らない人たちが「殉じた」と一概に評するのは少し浅はかだと思います。

 

国家権力に利用され、殺されたのに、彼らは「犠牲者」ではないのでしょうか。

 


戦争の記憶は、体験者にしかわからない。自戒を込めて、それを誤解してはならない。

 


そして、結論はただ1つ。

 

戦争はしてはいけない。

 


300万人の方々が、どんな気持ちで最後を迎えたのか。私たちはどう弔うべきなのか。

そんな取り留めもない事を考えた、8月15日でした。

 

f:id:inakan:20180815232509j:image

 


ちょいと前に、僕の考えを裏付けるような、戦争体験者のインタビューがTVでありました。下に貼っておきます。

 

真珠湾攻撃に参加した零戦搭乗員の記憶 - YouTube