きんぎょ

知識を「知恵」に変えるブログ。

苦しみの天秤

大阪の地震から、明日で1か月。

もう1か月なんですね。ほんと早いです。

 

今回は、大阪地震熊本地震のお話。

 

僕にとって、この2つの地震には2つの共通点がありました。

 

1つは、非日常を経験したこと。

 

地震発生当時、僕は阪急梅田駅にいました。

前日に東京で就活して、夜行バスで大阪に戻ってきたばかりでした。

 

「ふぅ・・・やっと三田に帰れる・・・」

 

そうため息をつき改札に切符を通したまさにその時、強烈な縦揺れが起こりました。

 

震度6弱

 

経験したことのない揺れでした。

 

その瞬間、阪急電車は全線ストップ。

JRも停止し、結局7時間立ち往生してしまいました。

 

揺れの最中蛍光灯が点滅し、今にも割れそうでとても怖かったです。

 

僕がホームでうずくまったあの瞬間に、コンクリートが倒れ、瓦が落ち、水道管が破裂していたと思うと、とても恐ろしいです。

 

なんでもない日常が破壊される瞬間が、体の中に強烈に刻み込まれました。

あの日のことは、きっと一生忘れないと思います。

 

実は「なんでも無い日常を破壊する出来事」は、これが初めてではありませんでした。

 

大学2年生の時、僕は熊本で被災地ボランティアを行いました。

 

「熊本を忘れないで」と涙ながらに話すおばさんの話を聞き、とても悲しかったです。

まるで自分が被災したかのようにすら思えました。

だから、大阪地震は僕にとって2回目の「被災」だったんです。

 

もうひとつの共通点。それは

あるクエスチョンが浮かんだこと

です。

 

それは

「もし今東京で地震が起きたら、人はどちらを先に助けるんだろう?」

 

これは、熊本で被災地ボランティアをした時も同じでした。

 

東北じゃなくてなんで、熊本なんだろう?

同じように苦しんでいる人は東北にもたくさんいるのに。

苦しみの大きさを僕らが決めていいのか?

命に優先度をつけていいのか?

 

慈善的な支援が、実は命の不平等という倫理的な問題を生み出し続けているんです。

 

まぁ結論、これは止むを得ない話です。

ですが、いざ自分が逆の立場になった時、どうなるのか。

 

“もし”

 

仮設住宅で暮らした。

コンクリートの下敷きになった。

蛍光灯が割れて大ケガをした。

 

だけど助けは一向に来ない。

何故かと聞いたら「今別の支援で忙しいんだ」と言われ、放ったらかしにされる。

 

そんな時、どんな気持ちになるのか。

 

をイメージするのは大事だと思っています。

それが、新しい支援の形につながると信じているからです。

 

だから僕は、これからも考えてみたいです。

これ以上苦しまない支援の方法を。

 

 

最後になりましたが、今回の災害で犠牲になられた方のご冥福をお祈りするとともに、一日も早い復興をお祈りいたします。